7/31(火)、何気なくニュースを見ていたら「秋篠宮同妃両殿下の長女・眞子さまが日本移民110周年記念行事で訪れていたブラジルから帰国」との報道。私の記憶は30年前に一気にタイムスリップ、同80周年記念行事の親善野球試合で訪れたことを懐かしく思い出しました。
10年毎の記念行事として夏の甲子園終了後の高校野球選抜と大学チームがブラジルに渡り、州や国の選抜と試合をするもの。大学は70周年が明治、100周年は早慶2校、ハンカチ王子も参加しました。私の海外渡航歴は、最初が大学3年、日米韓大学野球大会で行ったハワイ、2度目が大学4年、このブラジル。日本人の移民の歴史をなぞるような順番でした。
今では日本でも有名な”シュラスコ”を鱈腹いただいたこと、サンバショウに異常に感動したこと、イグアスの滝やイタイプの世界最大の水力発電所に圧倒されたこと、車から離れる時にカーステレオも都度外して携帯するほど治安の悪い国があることを知ったことなど、思い出話は尽きませんが、この遠征で学んだことをふたつほど。
ひとつは、日系人の日本に対する思いの強さです。少なくとも2世の方々は”死ぬまでに1度は日本に行きたい”と非常に強く願っていることを知りました。日本語や日本の文化・芸能・政治・経済について本当によく勉強されてましたし、NHKのど自慢は高視聴率、カラオケは日本の歌ばかりでした。
当時世の中のことなどまったく知らないバカ者の私に、母国を愛する気持ちの大切さを教えてくれたのが日系人の方々でした。母国の歴史や文化について知らな過ぎることも自覚させられ、とても恥ずかしい思いもしました。これを機に、日本国内を制覇したい、国外の人に日本について語れるようになりたいとの思いが強くなり、国内各地を回ることになります。その思い自体は今日でも変わりません。
ふたつ目はブラジルと直接は関係ないですが、貴重な経験、この場合は海外遠征、は当たり前に与えられるものではないということです。当時の前田監督(故人)の”親のすねかじりではいけない”、”遠征に行けない人のことも思え”との教えによって得られたものです。
この海外遠征に参加できた者は、就職後20万円を部に納めることが指示されました。今の大学スポーツの多くは、特に私学の場合は、広告塔の役割を担い、勝利至上主義の下、(附属校を含め)有力選手を全国から特待生として集めることが当たり前になっており、遠征費の後納なんてあり得ないでしょうし、当時でも前田イズムはかなり独特だったと思います。
このことによって親の負担感を身を持って知ることができました。また、自分を育ててくれた部のためにお金を使うことを経験して、”寄付”の意義みたいなものを知れた気がしました。
———————–
1908年、コーヒー園などでの人手不足を移民で埋めようとしたブラジルに、781人の日本人が海を渡った。
そして110年後、今度は日本が、少子高齢人口減少という背景は異なるものの、労働力不足の解消を外国人に求める状況となった。
現政権は”移民政策ではない”と表現しているものの、外国人への門戸を広げ、在留者数が増えることは確実。ブラジル移民120周年を迎える頃、実質的な移民政策がより本格化している可能性は十分にあると思えます。
眞子様から移民政策まで話が飛躍してしまいました、悪しからずご了承ください。。。