昨日は、大学野球部の同期新年会に出席しました。例年は、田町で在学中から卒業後を通じて我々の溜まり場となっている喫茶店で夜、開催してましたが、今年は初めて昼に吉祥寺に集合となりました。

長年、難病と闘う同志の病状を考慮して、寒い夜は避け、彼の自宅に近くということでこの地となりました。元気そうで何よりでした。彼を自宅近くの支店で雇い続けてくれている東京三菱UFJ銀行さんにはひたすら感謝してます。

彼とは、大学1年生の時、早朝からのグランド整備の割り当て場所が同じで、ポジションも同じキャッチャーだったこともあり、中でも近しいチームメイトです。故郷広島の名産 牡蠣を送ってくれたり、逆にこちらを気遣える根は優しいやつです。在学中はお互い(というかほぼ全員)気が強く、よくぶつかりましたが、今では笑い話です。

誰々が出世したの、息子・娘が受験だの、誰々の額が後退したの、持ち堪えているいるの、はたまたいい薬を発見したの・・・毎度変わらぬ盛り上がりでした。
開成町の某氏から、ブログで時にはやわらかい話が欲しいとのアドバイスをいただきました。では、真に受けて、大学当時の思い出話を2つと恐らくみなさんが知らないであろう類の話をひとつ。

思い出1: 1年生は夜10時からも練習。午後の練習が終わって、晩飯を食べた後、またグランドへ。徒歩10分の寮とグランドの間を行ったり来たりの毎日(寮は5ケ所。グランド隣接の第一合宿所入りを部員全員が競う構図です)。

ある晩、ついうたた寝、起きたら練習開始時刻である夜10時を回っていた。偶然?戻った同部屋の先輩につかまり、大説教。罰として”空気椅子1時間”(下肢と上肢と胴体と両腕をすべて直角にする物理的にはあり得まない体勢 笑)、しかも寮の玄関で。見せしめです。

私の本気度を試したのでしょう。何度も”やめちまえ!”と言われる度に、”すみません、やめません”みたいなのを繰り返しました。今でも、同期が集まり、粗相があると”空気椅子やらすぞ!”と定番のネタとなってます。

この経験を経て、うたた寝するときは必ず目覚ましをかけることを学び、空気椅子は5分が限度であることを身を持って知りましまた 笑。

思い出2: 罰にはバラエティーがあり、外出禁止、坊主、長時間正座、罰走等。共通しているのは連帯責任であること。粗相の程度と説教の長さ・罰の重さが比例関係。

春秋の早慶戦の翌週は練習なし。勝っても負けても、この1週間は別物。我先に鳥かごを飛び出し自由な世界へ!寮はもぬけの殻となります。ところが、1年の秋、同期が夜の掃除をし忘れ、外出禁止の刑。。。あれは痛かった。途中であまりの哀れさに恩赦がありましたが(先輩も一応人間でした)。

これを世の中では”連帯感を育む”ということを知りました。それより時間を返せ!って感じでしたが 笑。

ネタは尽きませんが、体育会で得られるものをひとつだけあげろと言われたら、”理不尽を学べること”と答えます。世の中、そりゃ理にかなってない、あり得ないだろう!と思うことでも実際は存在し、ものによっては存在し続けます。理不尽を一旦受け入れ、それに対して自分がどう行動するかが大事と思えるようになったら、怖いものがなくなる、これが持論です。

最後に、
前田イズム: 監督は4年間、前田祐吉氏。アメリカの野球、文化をこよなく愛し、”野球”と言わず”baseball”と呼ぶ。英語堪能。海外遠征に関わる前田流教育法をふたつご紹介します。

体育会に入ると授業に出れないと思い込んでいるあなた、この監督は真逆でした。”勉強しろ!”との主義。(実際は選手同士は野球の本気度を授業出席率で測ったりしますので、自ら練習を優先させたりしましたが)。

海外遠征においては、まず遠征先の歴史などを勉強させられます。アメリカ、台湾、ブラジル。。。教科書のような本を買わされたこともありました。ただの野球が上手な人ばかりを生産したくなかったのでしょう。年を重ねるとその思いも理解できますが、当時は???でした。

遠征代も学校からの補助に過度に依存してはならない、親のすねかじりも駄目!との考え。そして別の視点で、遠征に行けない人もいるということを強く認識させようとしたに違いない。今どきのスポーツ推薦で学費等すべて免除なんて人は(当時のKEIOにはその制度はなかったばかりか、浪人生の方が多かったかな)、良くも悪くも絶対に経験できないこと。

全額ではないが、卒業後の出世払いでした、遠征回数✕○○万円。私も就職後の給料から3回分払いました。この前田イズムのストレートな教え、与えられた環境が当たり前と思うな、身銭を切って初めてその価値が分かり、親の気持ちも分かる、ってことでしょうか。。。今でも判断に迷う時、前田監督ならどうするかなんて考えます。