先週、開成町地域防災リーダー第2回スキルアップ講座に出席。福島県大熊町より講師(※1)をお招きし、”避難所開設の手順や運営方法”等についてお話を伺いました。
※1:大熊町環境対策課長 吉岡様、大熊町避難所運営リーダー 市川様

大熊町は発災から7年半が経過した今でも、町内全域が避難指示地域、ほぼ全域が帰還困難区域に指定されている状況です。避難先も県内のいわき市、郡山市、会津若松市などに分散している上、約1割の方は県外での生活を余儀なくされております。役場庁舎も西に100㎞の会津若松市と南に40㎞のいわき市に移転と、復興のスタート地点にもたてない非常に厳しい状態にあると感じます。

地震と津波による被害(直接死12人、関連死123人。家屋被害 2315棟)もあったものの、帰還困難である理由は原発事故にあります。やり場のない怒り、心中察するに余りあります。そのような依然として大変な環境の中で、遠路わざわざお越しくださったことにまずもって感謝申し上げます。

私自身、発災翌月にいてもたってもいられず、状況を見ておきたいとの一心で車で現地に向かいました。茨城県に入り、国道6号線をひたすら北上、津波の被害の悲惨さとそれが広域にわたっていたことを目の当たりにし、我が目を疑い、心臓が冷えたことを今でも鮮明に覚えております。いわき市は通過できたものの、広野町から先は通行禁止、暗い気持ちで引き返してきたのが昨日のことのようです。

その後、宮城県石巻市を中心に10回ほどボランティアに行きましたが、避難所には足を運べませんでした。よって、今回のお話には非常に興味があり、貴重な機会となりました。

さて、伺ったお話の内容ですが、やはり現場の生の声であり、説得力があります。体育館などの避難所と仮設住宅は分けて考えた方がよさそうですが、印象に残ったのは以下の通りです。

○避難所
・役場職員だけ取り仕切るのは困難。自治組織が組成された。
・ボランティアを募集。掃除、湯沸かし、子どもの面倒、高齢者への声掛けなどの班に分けて行動。
・食中毒やノロウイルス対策などにかなり気を遣った。
・ごみ捨て場の監視は高齢男性の仕事ととして割り振った。
・電源コンセントがまったく足りない。
○仮設住宅、復興住宅
・高齢者は引き籠りがちになるため、とにかく行事をたくさんやった(花見、クリスマス、忘年会、餅つき、新年会など)
・避難所は顔が見えるが住宅は見えないため、見守りがより大事になる。

○役場での災害対応
・発災後3日間ほどは電話がつながらない。職員数も限られる上、話が長くなるケースが多い。
・職員はとにかく疲弊してしまう。非難の矛先が向けられてしまうことが多いが、やりたくでもできないことが多い。被災者であることは同じ、理解してほしい。
・立派な防災計画もまったく役にたたない。防災関連部署の人以外はあの分厚い文書は読まない。
・ラジオを職場に常備しておくべきだった。
・県に問い合わせても、明確な回答が得られないことも多かった。現場の判断でやった。
・避難所間の情報伝達手段として無線機が有効。高性能のものである必要はない。

○その他
・親戚の家に避難する方いるが、「(お互いに気を遣って)長くは住めない」と避難所に戻ってきたがいた。
主に原発事故により避難という特殊性はあるものの、参考にすべき点の多い経験談でした。この教訓を我々の今後に活かさなければなりません。

大熊町の皆様におかれましては、来年4月の避難指示解除の目標が示されているようですが、一日も早い帰還と復興を心よりお祈りいたします。貴重なお話をありがとうございました。