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『ベンチを見るな!!!』 大学野球部にて4年間ご指導いただいた故・前田祐吉監督(以下”監督”)の言葉です。私もお叱りとともに浴びせられた、思い出深い言葉です。
監督は2020年1月に野球殿堂入り。慶大野球部の監督を二度にわたり計18年間務められた後、アジア野球連盟事務局長などを歴任、国際的に野球の普及に貢献されました。
私も自身の考え方や生き方に多大な影響を受けた恩人です。今回は監督との思い出に触れさせていただきます。
出会いは麻雀
部員は100名を超え(今ももっと多いらしい)、その多くが高校時代はエースで4番でキャプテンみたいな連中ばかりの集団の中で、“監督に名前を覚えてもらう”のは容易なことではありません。
野球の実力で目に留まるのが理想ですが、それはほんの一握りのエリートの話。私の本職のキャッチャーだけで同期で8人もいました!監督や首脳陣が近くにきたら、ここぞとばかりに矢鱈と大きな声を出す習性が身についたりします。
私も良し悪しは別として、自然と生き抜く術を自分なりに考え、とにかくまずは新人戦でベンチに入るためにピッチャーや外野手にも挑戦、そんな世界でした。
そんなペーペーの苦労など知る由もない監督と初めて対話したのは、なんと麻雀でした。慶大野球部は当時では恐らく珍しく週1日休みがあり、部員たちは外の空気を吸うために我先にと飛び出し、合宿所はもぬけの殻になります。
一方、近所に住んでいた麻雀好きの監督は逆に合宿所に面子探しに訪れます。食堂に、まさか部費で購入したわけではないでしょうが、麻雀卓がありました。都会での遊び方も知らない真面目青年だったお陰で😊、その面子に加わることができ、最初の対戦で勝利を収めました。監督の脳裏に『山神』が記憶された瞬間です。
そして、翌週、館内放送で『山神、山神、食堂まで』と、リベンジに燃える監督からお呼びがかかり、距離がぐっと縮まった次第です。監督にとっては、“肩の強い山神”ではなく、“麻雀の強い山神”としてインプットされました。私としては、きっかけは何でもよく、覚えていただいたことが本当に嬉しかったです。
教えに感謝
監督は、まず日本の伝統的な“野球”を好まず、アメリカ好きもあってか、“ベースボール”をこよなく愛し、“エンジョイ・ベースボール”をモットーとしていました。とても哲学的で、私自身、野球とベースボールの違いを完全に理解したわけではありませんが。。。どっちでもいいだろ、くらいに思っていたようなきもします、若気の至りです。申し訳ありません。
まずは、『ちわーす』とか『あざーす』みたいな用語を嫌い、『何言ってんだ?』くらいに反撃され、返答に困ったりしました。試合中は、牽制球に対して”バック”と叫ぶなど、”意味のある言葉”以外許されませんでした。『さぁ行こうぜぇ~』なんて大声を張り上げると『うるさい、大事な声が聞こえないだろ』とか叱られます。
戦術的には、定石とされる”犠牲バンド“は基本的にしませんでした。真っ向勝負を好み、裏をかくリードはまったくもって評価されませんでした。
生活面でも上下関係・縦社会、説教やしごき・罰走を極度に嫌ってました(陰で行われていました😅)。そして何より、学生の本分は”勉強”にあるとし、授業に出ない/出させないようなことは許されませんでした。
私が最も驚いたのは英語がペラペラだったことです。甲子園球児→大学野球部→社会人野球→大学監督の経歴のいつ勉強したのでしょう?
国際交流にも積極的でUCLAとは相互に行き来し、エール大学とも日本で試合しました。私も台湾やブラジルへの遠征や、ハワイのリーグに参加させていただく幸運に恵まれました。
海外遠征前には“概説ブラジル史”のような本が配られ、『勉強せぇ』との指示がくだったり、(慶応大は観客の多い早慶戦の収益があるため、財政的には他大学比かなり恵まれている、とされていたにも関わらず)遠征費の一部(1回あたり10万円)を社会人になってから出世払いする決めがあったりと、恐らく他の大学チームとはちょっと違っていたと思います。
“野球・スポーツができるだけじゃダメ”、“折角行くのだから歴史を学べ”、“海外遠征に行ける有難みを感じろ、行きたくても行けない選手の方が多い。親のすねかじりはダメ”、こういった教えを受けられたことは本当に有難かったとこの年になって強く思います。
そんな尊敬すべき、当時54~58歳だった前田監督のことを『じいさん』と呼んでいたこと、深く反省しております。
名語録
さて、最後に懐かしい名語録です。先般、野球部OB総会にて、前田監督を偲び、且つ殿堂入りを祝してOBによるパネルディスカッションが開催され、『前田祐吉語録』で盛り上がった、とのことでした。
“名語録”は以下の通りです。私も言われた中で最も印象に残っているのが、目がつり上がり、怒りを込めた『ベンチを見るな!』です。例えば、2死2塁とか、3塁、満塁のようなケースでバッターがベンチを見ると叱られます。
“待て”のサインが出る“可能性”はありますが、『投手vs打者、1対1の戦いに集中しろ!。こういう場面でこそ実力が発揮される』との考えでした。そして、日本の団体・組織でありがちな『指示待ち』を嫌っていました。私は後に振り返り、監督は“自主性”の重要性を説きつつ、“自分の考えを持ち、言える人間を育てたかったのだろうと思います。
名語録『鬼コーチの命令で強制される練習は労働であってSportsではない』にも表れています。
他にも『前例通りは退歩』、『野球監督は庭師であれ。年中ハサミの音をさせては萎縮する』など、監督・リーダーはかくあるべしといった像がしっかり確立されていました。
他にも発明家としての顔などご紹介したいところですが、このあたりまでとさせていただきます。前田祐吉監督、大変お世話になりました。
指示待ちではない、自分の考えをしっかりと持ち、言え、そして行動できるよう、今後も努めていきます。ありがとうございました。合掌。
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先見と行動山神 ゆたか
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