自己紹介シリーズの3回目、仕事編3です。初回は約10年間お世話になった長銀時代について、2回目は最初の転職と買収によってドイツ銀行うに移ったあたりまでについて書かせていただきました。仕事編最終回の3回目は、BNPパリバへの転職と現時点で最後の仕事となった年金相談員についてお話しいたします。

○BNPパリバ銀行へ自らの意思で転職
ドイツ銀行では正に激務でしたが、前向きな仕事がある有難みから幸福感を覚えてました。破たんした会社にいた経験がそう感じさせたのかもしれません。いずれにせよ元来仕事は好きで、多くの日本人がそうであったように、仕事自体が生き甲斐、自己実現の場であると自覚してました。

営業の担当業種が生保・信託銀行・投信・投資顧問など運用系の会社が多く、各種規制緩和や国民の外貨投資の増加などが私の業績の追い風となる運にも恵まれ、順調な日々でした。とは言え、不満がなかったわけでもなく、実績はチーム1、2であるのに、いつまでも下っ端であることが面白くなく一度部長に直訴しました。

『制限速度100㎞の高速道路の追い越し車線を結構いいスピードで順調に走ってきたが、時速80㎞でのんびり走り、走行車線によけることもない車に前方をふさがれている感じです』とたとえ話で訴えました。このままだと、イライラが募るだけでなく、80㎞で走ることが容認されたと見なされ、チームのメンバーの士気は間違いなく低下する!と相当生意気なことを言ったりもしました。

その後、今正に”時代はAI! ロボティクス!”、”2030年には今ある仕事の半分はAIに取って代わられる”と言われているように、銀行業務のうち市場取引を仲介する営業職は機械が代行するようになると言われるようになりました。それでも日々はかなり忙しく、”まだまだ人間が必要だ”と感じてはいましたが、ドイツ銀行は業務の電子化において非常に先駆的であり、人間に対する収益目標が引き上げられるなど、機械よりも儲けなければ人間の雇用は正当化されないと言わんばかりの流れになっていきました。

その頃、外国為替の業界ではメジャーではなく、電子化などで非常に遅れたフランス最大手銀行BNPパリバがチーム強化の方針を打ち出し、人間の力をまだまだ必要としていると判断し、40歳の冬、再度転職しました。

○相変わらず働き蜂
電子化等が遅れている銀行故に、人間がこなす仕事が腐るほどあり、多忙感は増しました。社内規則では1年間に10営業日連続を含む年休の消化が義務付けられておりますが、ある年は年休未消化の承認を申請し、1日も休むことなく(土日祝日はお休み)働き続けたこともありました。基本的には7時~7時まで、昼飯は常に机で食べる生活でしたが、月末日や通貨オプションの満期日などはお取引先からの注文に応じて、日付が変わるまで残業することも珍しくありませんでした(長銀時代は何度もオフィスに停まりましたが、さすがに時代は変わり、そのようなことはありませんでした)

まったくの余談ですが、東日本大震災発災後も(ビルの41階で長周期地震動を体験しました!折れるのでは?と真剣に思いました)休むことなく働いたところ、特別ボーナスが支給されました。被雇用者として当然のことをしたまでですが、外国人の多くが関西方面に一時避難したり、中には母国フランスに帰ってしまう従業員がいました。外国人にとって日本人が思う以上の一大事であったということです。

新規取引先も50社近く獲得できるなど、とても充実したサラリーマン生活でしたが、ドイツ銀行時代も含め、自身の仕事は”世の中の役にはほとんどたっていない”との思い、それへの嫌悪感が年々強まっていきました。そして、父が亡くなった年齢(56歳)が1年また1年と近づくたびに、自分の残りの人生をいかに生きるべきか自らに問いかけることも増えていき、”いずれは、何らかの形でふるさとの役に立ちたい”との思いが少しずつ強くなり、40歳台半ばの頃、兎に角”50歳で会社を辞めよう”と決めました。

その役に立つ形を具体化するための準備として大学院受験を決意し、10年間のBNPパリバ生活にピリオドを打ちました。退社日は50歳の誕生日、有言はしませんでしたが、実行しました。BNPパリバは日本的文化・慣習と所謂外資系のそれがミックスされた、非常に働き易く、居心地が良い会社でした。チームの再編成・強化を通じて自分を成長させていただいたことに今でも感謝しております。

○正規・非正規
大学院は9月入学に対応しているところが少なく、明治大と早稲田大のみ受験、いずれもうかりました。授業が夜間と土日祝日のみの明治か、平日昼間もある早稲田か最後の最後まで悩みましたが、学者先生と実務家先生のバランスがよく、学び舎としての雰囲気もよかった紫紺のジャージを選択しました。

そこで昼間をどう過ごすか?学校から遠くなく、残業が絶対がない仕事があれば働こうと決め、探してみたらありました。派遣社員としての採用だったため、守秘義務から派遣元も派遣先も情報は明かせませんが、年金関係の相談員の職でした。少子高齢・人口減少社会における社会保障制度の疲労が指摘される中でその一部門”年金”について深く学べたことは有意義でした。

そして、折しも正規・非正規の格差が注目され、ワーキングプアが社会問題化している中、派遣社員の実態を知ることができたのも収穫でした。結論から言えば、それは相当厳しく、求められる知識レベルや会社への実際の貢献度からすれば、報酬が安過ぎると実感しました。職場の同僚の女性陣からも、私が元銀行員ということで借入等々お金に関する相談を受けましたが、厳しい”現実”に特効薬もなく、役に立てない不甲斐なさを感じました。

学業と政治活動により多くの時間を割くため、勤務を週5日から4日、3日と徐々に減らしていき、昨年12月に退社しました。

○終わりに
つらつらと思うままに書かせていただきました。乱文・長文、お詫びいたします。さて、この自己紹介シリーズは、山神ゆたかというひとりの人間をより知っていただくことが目的で、今後の私の政治活動と結び付けて何かをアピールしようとするものではありません。ただ、私が”民間感覚”(成果主義、顧客志向、スピード感、経営感覚)や”グローバル感覚”が自らの強みとしている点に関して、その根拠の一端がご理解いただるとすれば、有難いです。

このシリーズは今後も続けさせていただき、次回は趣味について書かせていただこうと思います。よろしくお願いいたします。