山神ゆたか自己紹介シリーズ”趣味編3-2”、”野球”の続編です。

○(スポーツ4) 野球 中学校時代
当時はクラブチームなるものがまだほとんどなく、野球を続けるとしたら、選択肢は部活動だけの時代でした。開成少年野球クラブのチームメイト12名のうち9名が文命中学校(以下”文中”)野球部に加入、3年の夏までともに苦楽をともにしました。

結果を先にお伝えしますと、3年の春と夏ともに上郡、県西地区を制覇し、神奈川県大会で準優勝しました。優勝にあと一歩届きませんでしたが、小学校時代にお世話になった監督やコーチ、保護者の皆さんに恩返しができた思いでした。
そして、昨年、母校文中は春の県大会で見事初優勝! “記録は塗り替えられるためにある”を9割5分の祝福・喜びと5分の寂しさ?で、身をもって体験させていただきました。

私は小学校時代に引き続きキャプテンでキャッチャー。左腕エース・小野投手(相洋高校で夏ベスト4)はコントロールが抜群で、リードのし甲斐のある好投手でした。県準優勝は彼のお蔭と言っても過言ではありません。

キャッチャーというポジション、サッカーのキーパーと似て、守って当たり前、抑えても褒められるのは投手、点をとられるとリードが悪いと言われがちなあまり日の目を見ないポジションと言えます。盗塁阻止率もプロでも2~3割程度であるにも関わらず、実際に10回に7~8回も走られると、“フリーパス”と酷評されてしまいます。

そんな損なところがあるキャッチャー、最も嬉しく、満足する瞬間はいつだと思いますか?
守備練習であまり動かないから楽であること、これは冗談です。自らのリードで打ち取ったり三振を奪えた時、自らの指示で守備位置を変えたところに打球が飛んでアウトをとれた時、盗塁を阻止した時・・・いずれも嬉しいことですが、私が最も嬉しいのは”自分のキャッチングが上手くいったことで微妙なコースがストライクになった時”です。

前述の例はいずれも投手がサイン通りに投げることによってリードも活きる訳で、結局投手のお蔭・手柄です。一方、キャッチングの巧拙でストライクがひとつ増えることは、当たり前ですがボールがひとつ減るという2倍の効果があり、投手にとってどれだけ有難いか!と思い自己満足に浸る訳です。ピッチングにリズムも生まれ、バッテリー間の信頼感も増します。(専門的な話で申し訳ありません)

さて、戦績の話に戻しますと、そんな好結果を残せた我々の代ですが、スタートは負けから始まりました。”上郡には敵なし”と慢心とおごりがあり、まんまと落とし穴に嵌りました。新チーム発足後初めての上郡公式戦で松田中に敗れてしまったのです。直接的な敗因は私、バンド処理でセカンドに暴投し、決勝点を献上しました。

後講釈すれば、”あの負けで本気になった”と格好つけられるかもしれませんが、いずれにせよ”勝ちより負けからの方が学ぶことは多い”とはよく言ったものです。今でもその通りだと思います。

冬には体力づくりに真剣に取り組み、南足柄市の自動車工場から古タイヤを大量にいただき(みんなで取りに行き、サイクリングコースを転がして持ってきました)、ロープをつけて引きまくりました。NHKの番組から練習法を学び積極的に取り入れたりもしました。

練習中、水は一切飲んではいけないルールとしたり、練習用ユニフォームにそれぞれの目標をマジックで大きく書くことで、目標の明確化や意識の向上を図ったりと、前近代的なスポ根の世界そのものでした。顧問の井上先生の寛大さに甘え、やりたい様にやらせていただきましたが、後輩たちにとってはさぞかし迷惑で鬱陶しい主将であったに違いありません。同期のチームメイトの理解と協力があったことが(含推測)、救いであり、且つチームとして成長できた要因です。

最後に、「準優勝はしたけど、なぜ優勝はできなかったか」と問われた場合の私の答えは(今までそのようなことを聞かれたことはありませんが)、「優勝を目指していなかったから」になります。「無欲の勝利」の聞こえは良いですが、「無欲で勝てるのは準決勝まで」というのが実体験に基づく私の結論です。
毎度話が長くなり恐縮です。野球の話ならいくらでもできてしまいます。後日、高校時代と大学時代をお届けできればと思います。よろしくお願いいたします。