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先日、町内の知人より『古い資料が出てきました』とご連絡いただき、わざわざ持ってきていただきました。

それは、遡ること35年前、1987年2月28日付けのタウンニュース“人物風土記”の切り抜きでした。私の亡き父・山神輝を採り上げていただいたものでした。大事に保管いただいたことに感謝いたします。

私の中学校野球部時代、足柄上郡地区予選の記事までスクラップしていた母のこと、必ずや家か蔵の中のどこかにあるに違いありませんが、初めて目にするものでした。

初めて知る事実

記事の内容は、開成町長としてまちづくりのビジョンや思い、町の課題などが中心でしたが、多少プライベートにも触れられていました。

“趣味は読書”、“神田の本屋街を一日中ぶらつくことも”。確かに家中本だらけで、蔵に移動させたものの、捨てるに捨てられず、山積み状態です。神田をぶらついた?まったく知りませんでした。

私も趣味はひとり旅!と公言しています。友達がいないのでは?と思われかねませんが、ひとりになりたい時が確実にあります。そして、行きたいときに行きたいところへ行くことの解放感は格別です(もちろん、その有難みも感じております)。父親譲りでした。

高校総体の県予選、三段跳びと円盤投げで2位、砲丸投げで3位”! 投擲競技をやっていたことは聞いており、時々“ホップ、ステップ、ジャンプ!”と評論家のような、分かったような解説をしていた記憶はありましたが、実績等は知りませんでした。

三刀流!しかも県で2位?
なぜ息子が知らないのでしょうか? 父も母も姉も一言も言いませんでした。確かに、私が父と一緒に住んだのは18歳まで、その後は大学野球部の寮に詰め込まれました。時折帰宅しても近況報告程度で、父は父で多忙を極めていたと思われ、昔話に花が咲くような雰囲気でもなかったのでしょう。

息子には自慢話をしない質だったことは確かでしょう。私も大学野球部の3原則のひとつ”謙虚であること”を胸に刻んで生きています。ただ、長年の外資系での勤務経験と、政治活動に身を投じることとなった立場上、”主張・アピールすべきところはそうすべき!”であることと、”自慢話”の境目がいまだによく分かりません。分かりたくないような気もします((笑))。

開成町の未来について

町長就任に際し、豊富として『行政がひとり歩きするではなく、みんなのふれあい・対話・共感のまちづくりを進めたい』と語っていました。親子で変ですが、同感です。考え方が近い、いや同じです。

まちづくりにおいては、堅い表現で言えば“住民参加”がとても大事です。できるだけ多くの方が町のことを自分のこととして捉え、考え、行動していただくことが理想であり、そのためにはまずは声を寄せていただくことが重要になります。例えば、何らかの公共施設の建設において、計画段階から完成まで、そして完成後も多くの町民に関わっていただくことで、思い入れは格段に違ってくるでしょう。

公民連携のまちづくりの成功事例とされるのが、岩手県紫波町の駅前整備“オガールプロジェクト”。その成功のポイントのひとつが、住民の声を聞く姿勢、全25の自治会でそれぞれ最低4回ずつの意見交換会を開催したプロセスにあったと確信しています。

近年は、住民の価値観の多様化などから、合意形成の重要性が再認識されています。貴重な血税をできるだけ有効的に使うという基本原理にも則り、住民参加はとても重要なことです。

最後にもう一点。『開成町は足柄上郡の中核都市になる可能性をもっています』とのコメント。駅前はまだ何もないばかりか(私も消防団在籍時に、駅前の空き地で操法の練習をしました)、開発への反対運動があった時代。人口も大井町と山北町が1万4千人、松田町が1万3千人を超えていた中で、1万1千人台だった当時にしては、なかなかアグレッシブなコメントだと感じます。

『名実ともに足柄地域の中心地』。先人たちのご尽力のお陰で、今後のやり方次第では、現実になり得る可能性が十分にあります。35年の月日はあっという間に流れました。35年後に、開成町がどうなっているか? 町民の皆さんが住み続けたい、町外からも住みたい、就学・就職等でいったん離れた人々も戻ってきたい町であるよう、そして足柄の中心として誇りを感じる町であるよう、そのために働かせていただきたいと願っております。

#聞きます #やります #やり遂げます

先見と行動

山神 ゆたか

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