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静岡県掛川市。“新幹線掛川駅“誘致のために30億円の募金を集めたまち、二宮尊徳翁が一度も訪れたことがないにも関わらず、報徳思想が根付き、大日本報徳社の本部があるまち、全国初の”生涯学習宣言都市“等々、かねてから気になっており、一度は訪れなければならない!と思っていたまちです。
名古屋で働いていた時、帰省のために50回以上は“通過”したものの、“掛川インター”で降りたのは四半世紀が経過した今回が初めてとなりました😅
見たいものはもちろんありましたが、それよりもこれだけ独特で、特徴のあるまちづくりをしてきた自治体! 町を歩けば、そして、市民から30億円の寄附を集めてできた請願駅「新幹線掛川駅」の前に立てば、何か感じるものがあるのではないか?という恐らく皆様にはほとんど理解されないであろう期待を抱いて向かいました。
結論から申し上げますと、歩いただけでビビッとくるほど感性は研ぎ澄まされていませんでしたが、大日本報徳社にて、予期せず、掛川市の歴史に関してマンツーマンで懇切丁寧にご説明をいただけたこともあり、実りの多い視察となりました。
掛川市の概要
・静岡県の西部・遠州に位置。
・2005年、旧掛川市、大東町、大須賀町が対等合併。
・人口 約11.4万人、国勢調査ベースの人口は2005年にピークを打ち、減少基調に。
・面積 約266㎢。
・かつては掛川城を核とした城下町。
・緑茶をはじめとする農業が主要産業のひとつ。荒茶の生産量は2004年頃まで全国1位。
・つま恋フェスの開催地、サッカーワールドカップの試合会場(袋井市との市境 エコパスタジアム)、森保一監督の生誕地、そして、王将戦の第一戦開催地(掛川城二の丸茶室)でもあります。
王将戦に関しては、主催の毎日新聞社の社長だった朝比奈氏が掛川西高校出身だったことによる、とのことです。
報徳思想
掛川市を語る上で欠かすことができないのが報徳思想。後ほどご紹介しますが、様々なまちづくりの事業や地域での活動において、報徳思想が根っこにあり、非常に大きな影響を与えています。
遡ること約150年前、各地で報徳の取り組みが広まる中で、現在の掛川市でも報徳社が創設され、地域の再建が果たされました。その後、後に大日本報徳社2代目社長となる岡田良一郎氏が現在の県立掛川西高校の起源とされる私塾「冀北学舎」を開校、さらに日本で最初の信用組合(現在の島田掛川信用金庫)を創立し、報徳の教えが地域に拡がり、根付いていった、という歴史です。
推譲
代表的な報徳の教えは「至誠」、「勤労」、「分度」、「推譲」ですが、掛川市のまちづくりに最も関わり、貢献したのは「推譲」です。「推譲」の精神と実践です。
「推譲」とは、生活の中で、分度によっ譲て余ったお金を家族や子孫のために貯めておくこと(自譲)と、他人や社会のために譲ること(他譲)です。至誠、勤労、分度の結果として残ったものを譲ってはじめて推譲になる、との教えです。
次回、「推譲」によるまちづくりの実例などをお届けします。
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先見と行動山神 ゆたか
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