前回の続きとなります。山神ゆたかの人生のチャート、就職後編です。(山神ゆたか 人生のチャート

<社会人>
・日本長期信用銀行(以下“長銀”)に就職、大学の野球部に入った時と同様、いきなりショックの連続でした。同期120名のうち東大卒が4割くらい、通産省のお役人を蹴ってきた人もおり、これはやばい、とんでもないところにきてしまったと直感しました。英語の試験ではブービー賞、焦りのあまり、その日から高田馬場の英会話学校に通い始めました。今でも忘れません、お金もなかったので100回で10万円、一回あたり1000円の安く、狭く、汚いところでした。

就職した年に父が亡くなりました。56歳でした。その前々年に祖母を亡くした時ほど泣きませんでしたが、ショックでした。人生のはかなさを痛感しました。そこまでして働く意味ってなんだろう?と社会人一年目の若輩者ながらに考えさせられました。

田んぼや畑など、先祖代々引き継いだものを預かる責任も初めて感じました。姉が結婚し、祖母が亡くなっていたので、実家には母ひとりとなってしまったため、東京の独身寮から開成町に戻り、遠距離通勤となりました。とにかく落ちこぼれないよう必死で、充実も満足もなく、一日一日、同期・同僚に懸命についていくだけだったような気がします。

地元に戻り、それまで父が担っていた地域の関わりをすべて引き継ぎました。代替わりというものですね。入会地・共有地組合の役員が順番で回ってきたり、自治会や菩提寺の会合への参加、消防団にも加入しました。充実というのとは若干違いますが、長男としてこの地に骨をうずめる、そういう人生であることを前向きに自覚しました。

名古屋支店に転勤後は、初めての営業職で、ようやく銀行員になれた気分でした。働き方改革の言葉もない時代、いやぁ夜遅くまでよく働きました。会社へのロイヤリティ、滅私奉公と言ってしまえばそれまでですが、そういう時代でした。仕事での自己実現を図るのが当たり前と感じてましたし、思いっきり働いたので、充実していました。仕事終わりに、職場のメンバーで飲みやカラオケ、そしてゲーセンによく行きました。楽しい日々でした。名古屋時代に結婚、長男を授かりました。

・軌道に乗ったかに見えたサラリーマン人生に暗雲、32歳の時、正に人生を揺るがす出来事が起きました。チャートも底割れ、暴落です。。。

次回に続きます。

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先見と行動
山神 ゆたか
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