前回の続きです。山神ゆたか 人生のチャート 改め 私の履歴書 です。(山神ゆたか 人生のチャート

長銀破綻

32歳の時、正に人生を揺るがす出来事が起きました。
不良債権増加等により長銀の経営不安が強まり、株価が額面50円を下回る事態になってしまったのです。前年、四大証券の一角だった山一證券や都銀の北海道拓殖銀行がすでに破綻していたこともあり、倒産の可能性を現実的に受け止めました。

公的資金が注入されて、世間から非難されることだけは避けたいとの一心で結果的に破綻直前に退社しました。積み立てていた持株会の株式は正に紙切れと化しました。満足度も充実度も測定不能、急降下しました。明日の生活がまったく見えなくなったので当然と言えば当然でした。

チャート分析の視点では、それまでの順調な上昇トレンドを一気に底割れ、スタート地点をも下回る暴落、人生で最低水準を更新しました。イベントリスクが直撃、投げが投げを呼ぶ相場とも表現できましょう。

ただ、振り返れば、勤務先の破たんを経験するまでは、とても有難い人生を歩ませていただいたと言えます。学費や生活費などのお金を含めあらゆる面で苦労と心配をかけた両親に、そして姉や可愛がっていただいた近所の方々、お世話になった皆さんに感謝してます。長銀も自分を育てていただき、今の多くの方と縁をいただいており、ありがたい限りです。

外資系生活

・先に転職していた元同僚の先輩から声をかけていただき、8回の面接を経て米銀に入社しました。“外資系“は実績が伴わなければすぐにクビになるイメージが強く、本当にビビってました。”あぁこういうのを清水の舞台から飛び降りる”というのだろうと感じました。

明日が見えない日々でしたが、とにかくできるだけ頑張ろうと、朝早く出勤するために東京に引っ越しました。ランチは常にデスクで、外で食べることはできませんでした。朝の7時から夜の7時まで、12時間労働。今ではあり得ない話ですが、当時は当然のことと受け止めてました。

初めての賃貸住宅暮らしも、階下の住民から”うるさい“と言われ、”これが東京だ”とのっけから嫌になりました。どうやら原因は、生まれたばかりの長女だったようで、そこまでの我慢はさせたくなかったので、戸建てに再度引っ越すなどドタバタしました。

仕事は引き続き波乱含みで、転職直後にドイツ銀行への吸収合併が発表され、慌てふためきました。転職も初めて、外資系も初めて、そしていきなり買収される事態。合併後も全員が継続して働ける保証はないため、職を失うリスクを感じましたし、いきなりライバルになってしまった同僚とも何となく気まずくなりました。

運よくドイツ銀行で働けることとなり、その後はお陰様で、毎年仕事をいただける身となりました。充実した日々でした。チャート上も底を打ち、反発モードに入りました。

何とかやっていけそうな感覚を得たことから、3年間の東京お上り生活にピリオドを打ち、開成町に戻りました。

転職

・39歳の時、社内人事や組織改革が政治っぽい動きで慌ただしくなり始めたことや、業務におけるデジタル化の波が一気に押し寄せ、AIや電子取引を通じた取引による利益を上回る利益を上げられない人間はいらない、みたいな目標を掲げられたことも嫌気し、私としては前向きな転職をしました。外資系ではこの頃から既に電子化・デジタル化の時代が始まっていました。在宅勤務も職種によっては可能な状態が整備されるなど、日本よりも10~15年ほど進んでいたのは明らかです。その差を埋められるか、デジタル庁に先導されて日本の皆さん、頑張りましょう!!!

転職先に選んだのは、業界では出遅れ組で人間でもまだまだ仕事があり、人間に期待する余地が依然大きく残されていると判断したフランスの銀行でした。選択は間違っていなかったようで、以降はお陰様で仕事にありつき、気づけば在籍期間が最長となる意外な結果となりました。

充実度・満足度も回復の一途となり、チャート上では長銀時代のピークを超えました。それでも、当時の上昇トレンドのラインにあたる水準で上げも一服。それ以上の充実度・満足度を得る前に、金融業というか、拝金主義の外資系企業というか、世の中への貢献度で見た仕事内容に虚しさを徐々に覚えるようになりました。

プライベートでは、息子が中3の時、PTAの会長をお引き受けし、次女が中3の時におやじの会の会長もやらせていただきました。自治会では体育部長を2年やらせていただき、女子ソフトボール初優勝や駅伝大会も復活優勝など盛り上がりました!多くの新たな出会いや経験をさせていただき、有難かったです。

残りの人生

・仕事の話に戻りますが、45歳の頃だと思いますが、とにかく50歳まではサラリーマンを続け、残りの人生は別の生き方をしよう!と妻にも相談せず、勝手に決めました。そんなことを言えるのはいいご身分と非難される覚悟はありましたが、祖父は48歳、父は56歳で他界しており、寿命が短い家系であるとの自覚が強く、“自分の人生は70歳まで”として、残りの人生を悔いのないように生きるべく、設計し直しました。

父が町議・町長を務めさせていただいたことが影響したことは確かだと思います、所謂二世です。残りの人生はすべてではないものの、生まれ育った町・地域のお役にたつ仕事で頑張ろうと決意し、その準備のため、大学院に通うこととしました。

日中は派遣社員として年金相談員として働きました。なかなか厳しい雇用条件で、派遣社員の実態を自ら体験しました。

夜に学ぶ生活となりましたが、大学時代に野球にのめり込んでしまったため、“勉強した“との自覚がなかったため、純粋に勉級できる環境がとても有難く、充実し、満足のいく日々でした。

プライベートでは、自治会の副会長を2年やらせていただき、地域のつながりが大事であることを再認識するとともに、加入率の低下や役員の負担感、クリーンデイや防災訓練などの行事のあり方など様々な課題に直面し、できる範囲内ですが、見直すべきは見直した増した。

選挙で敗北

2019年の町長選挙では、多くの方々のお力添えをいただきながら、素人なりに精一杯活動しました。ただ、残念ながら、結果で報いることができず、申し訳ない思いでいっぱいでした。

2年間、私なりにすべてをゼロベースから見つめ直し、再挑戦することに決めました。
一度の人生、志を貫き、悔いのない人生を送りたいとあらためて思ったこと、負けはしたものの多くの方のご支持をいただいたことへの責任がその理由です。喜ばしい状況を引き継ぎ、さらに住みやすい未来の開成町をすべての住民のみなさんとともに創っていきたいと願っております。

さて、残りの人生のチャートはどのように描かれていくのでしょう?上昇基調を維持し、時には反落する局面がある一方で、上げが一段と加速するような局面も到来する展開をイメージしながら、精進してまいります。

長くなりました、お付き合いいただき、ありがとうございました。



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先見と行動

山神 ゆたか

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