目次
前回の続きとなります。東洋大学大学院の“地域分析”の授業にて開成町の分析を行いました。この機に、開成町の今をあらためて見てみます。
人口の話題の最終回です、人口が増加し続けた背景について、私なりの解釈を述べさせていただきます。
開成町 人口増加の背景 その2
②小田急
開成町の歴史において小田急グループさんとのご縁は切っても切り離せないものがあります。基本的には、民間企業としての経営方針・戦略において開成町に投資をいただいたものと位置付けられますが、時に二人三脚でまちづくりに貢献いただき、町もそれに応えたという関係性を町制施行以来の長きにわたって維持できたことが目下の好循環を生んだと考えられます。
小田急小田原線としては今をもっても最後にできた駅として、1995年の開成駅の開業、その34年後、異例に少ない乗降客数での急行停車の決定、2003年以降の開成町にとっては初めての高層マンションの建設や戸建て住宅の分譲によって町の成長が加速しました。
コロナ禍を受けた新生活様式へのシフトが進む中、本業である運輸事業のあり様も大きく変わりそうです。先行きが依然として不透明な中で、流通事業や不動産事業の方針や戦略も練り直される可能性があるでしょう。町としても、社会環境の激変に乗り遅れることなく、相互の連携をより強固なものとし、協働していくことが今後ますます重要となるでしょう。
③イメージの向上
2006年、富士フイルム先進研究所の誘致に成功したことも重要な要因でした。新しい小学校の開校とともに町のイメージがかなり向上したと思います。一部上場の超優良企業による新規投資のインパクトは人口や税収などの数字以上に大きかったと思います。
人は“動いているもの”に興味を覚え、移住においても“動いている自治体”への関心が高まるものと言われます。その点で、“新しい小学校”ができたことは、ワクワク感が湧き、子どもを新しい学校で学ばせたいとの期待が高まったものと思います。
そして、同時期に紫水大橋が開通したことによる利便性の向上も当然プラスに作用しました。南北3.5㎞の町に4本目の橋という異例のことでしたが、神奈川県が企業誘致を積極化するプロジェクト“インベストかながわ”の第一号案件となり、県下での知名度も相当程度上がったのではないでしょうか。
④近隣市町との比較優位性
最後は近隣市町と比較して優位性が高まったことがあるかと思います。
近隣市町において、戦前に遡るような話ですが、東海道本線が海沿いの熱海経由に変更されたことの中長期的な影響、大手企業の本社機能が移転したことによるイメージの後退や、人口や税収の減少、開成町より山地面積の比率が高く、可住地面積比率が低いこと、駅周辺が飽和状態となったことなどが挙げられます。
ただ、冷静に見れば、経済や人口の歴史的サイクルがずれていた、要は開成町が遅れて発展したようなところもあるでしょう。50年間でみればそのずれは非常に大きいですが、例えば500年で見れば、大差なく、これからが大事であることは言うまでもありません。
長くなりましたが、これで人口部門を終わりにします。財政等については、後日お伝えできればと思います。
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